まだ無名の風景たち

そしてその情景

スカイ・クロラ ~生と死と愛~

 

主人公を含む、キルドレと呼ばれる子どもたちは、永遠に大人にならない子どもたちだ。

 

民間企業が戦争を代行している世界。キルドレはその企業に属しているいわば兵士である。キルドレは歳をとらない(肉体が老いないという意味か?)。またキルドレは、死んだとしても、DNAから複製されて蘇る(?)。それも赤ちゃんから育てるのではなくて、いきなり十代後半くらいの人間として蘇ってくる。つまりある時点におけるDNAが保存されており、それから複製される、ということか。このようなことをするのは、戦争をするための技術の習得やそのための教育にはコストがかかるから、生き返らせるのが安上がりであるという、結構実際的なところもあるらしい。キルドレは平和の外部にいる人間たちである。技術的・工学的に実現された社会構造として、そのようになってしまっている。彼らは永遠に戦争をパレ―ドとして行う運命にある。というようなことをネットなどで調べて知った。映画の中ではこのような設定が明示的に説明されるわけではない。

 

とりあえず、このトレーラーに重要なことがほとんどまとめられているみたい。


The Sky Crawlers 1 Trailer raw - YouTube

 

この映画は、キルドレたちの日常を描いている。彼らの目線で物語は進んで行く。

 

この映画は「繰り返し」を強調している。キルドレ達の日常は繰り返す。空を飛んで、ショ―としての戦争をする。もし戦死したら、また同じような人間が複製(?)されてくる。癖まで同じ人間が複製されてくるのだ。例えば、映画の中で、新聞の畳み方に独特の癖がある人間が、複製されてきたりする。

毎日同じことの繰り返しで、世界が変化しない(ように見える)のだから、記憶することに意味がなくなる。今日と昨日がまったく同じだったら、今日と昨日を区別する意味がない。こうして、まるで空のように境界があいまいになり、記憶も薄れていく。フラットな世界で、感情も平板になる(しかし、空を飛ぶのは楽しい。まるで夢の中にいるみたいに)。

 

そして、そのフラットな世界に、微妙に苛立ちを感じているのが草薙水素である。スイトは自分たちが何者なのか、気づいているように思える。映画の中に、「その銃で私を撃って。さもないと、私たち、永遠にこのままだよ?」というセリフがある(こんなことを言うのはスイトが函南を愛しているからだ)。この平板な世界が変わるには、愛が成就するには、自殺してあの世で一緒になるか、函南がティーチャ―を撃墜するかのどちらかだ。死がほのめかされることが、さらにエロスを際立たせている。

 

個人的に重要だと思ったのは、スイトに子どもがいるということである。おそらく、スイトと函南との間にできた子どもであると考えていいだろう。劇中の会話などから想像するに、キルドレ同士で子どもを作るのはかなり変わった行為であり、差別されているようである。なぜ、スイトと函南は愛を交わしたのか。たぶんそれは自分たちの運命を悟っていたからではないだろうか。自分たちの日常は永遠に繰り返される。そのような繰り返しの外にいる存在として、子どもを作ったのではないか。

 

ティーチャ―というのは「大人」のパイロットであるらしい。おそらく、ティーチャ―というのは死を運んでくる存在、あるいは絶対に乗り越えられない壁、そのような象徴として描かれているように思う。ティーチャ―と接触すると死が待っているということから、ティーチャ―は、キルドレという仕組みを作った人間の一員として描かれていると考えるのが妥当なような気がする(色々調べて見ると、ティーチャ―というのはオリジナルの函南なのではという説があるらしい)。壁を超えること、日常を打破することは、すなわち死を意味している(ましてや自分自身を超えるなんてことは不可能だ)。

 

この映画は若者向けに作ったということである。知る、気づく、というのは大切なことだ。この映画は、何らかの気づきを与えてくれると思う。良い映画だった。

 

(2014年7月30日に書きなおしました)