まだ無名の風景たち

そしてその情景

ヴィム・ヴェンダース『RADIO ON』 感想

 

 この『RADIO ON』に限らず、ヴィム・ヴェンダース作品に通じるものとして、「何かに対する疲れ」があると思う。そしてヴェンダースは、疲れからの逃走を描いているように思う。  

 

 この作品は、上記の法則からいくと、工業化された社会からの逃避願望を描いていると思う。

 映画の冒頭、主人公の選曲した曲が、工場内に大音量で流れているというシーンがある。音楽は癒しのはずだが、そこで働いている人は疲れている。なぜかというと、疲れをごまかすために音楽をかけているからだ。工場の機械の音をかき消すために、それ以上の音で音楽をかけているのだ。なんとも大雑把なディストピアだ(が、カメラで撮れば面白い画になるはずだ)。

 

 カメラは、人口的な直線と曲線、高速道路、高層マンション、テレビ、冷蔵庫、計器やメーター、ベルトコンベアー、テレビゲーム、蛍光灯、そんな都会的な物たちを写していく。白黒で、そして独特の構図で映し出されたそれらは、奇妙な手触りと質感がある。そこにクラフトワークなどの音楽が流れると、なんだか、私たちは機械の体内で日々暮らしているんだな、なんてことが再認識されてくる。

 

 この映画には妙に殺伐とした所がある。それに奇妙な危うさもある。

 主人公は、兄が自殺したという知らせを聞き、兄の住んでいた部屋を尋ねに行く。自殺の理由などは明かされない。たぶん理由のない自殺なんだろう。こういう所に、殺伐とした時代の雰囲気を感じる。なんとなく疲れたから死んだというような。

 主人公が運転する車に乗ってきたヒッチハイカ―は軍を辞めてきた男だが、そいつも悪態をついて、今後の生計の立て方に不安を抱いたりしている。世界は機械的に整った風景になっているのに、そこに住んでいる人間は、どこか荒れているのだ。

 

 おそらくヴェンダースは機械とかは実は結構好きなんじゃないだろうか。ヴェンダースは映像作家だ。たぶん、彼は面白いものを見つけると撮らずにはいられないのだろうし、そういうものからインスピレーションを得ているに違いない。実際、この映画に映し出されている機械や建築物は、純粋にフォルムだけ見れば、面白かったりする。しかし、この作品は、その機械を作っている工業化社会の暗部も描いているのだ。

 

 この映画で映し出される現実は苦しく、陰惨な風景が広がっているが、一方で、旅というファンタジックな要素と、カメラで世界を撮るということの楽しさも同居している。

 

主人公は最後、電車に飛び乗るわけだけど、それでも彼は工業的な社会の体内にいるままだ。ある意味、終わり方としては中途半端ではある。完全な逃走は成功していないように思える。ヴェンダースにとって、この映画はまだはじまりに過ぎなかったのかもしれない。