無口と反抗心

 たしかに自分は無口な人間だ。会社の同僚が「〇〇って本当に無口だよなあ」とあらためて言うと、自分は「よし、お前がそう言うなら、俺はもっと黙っていてやろう」などと頭の中で強く思うのだった。

  でも、あとになって僕はふと気がついた。自分にとって、黙るという行為は、強い意志表示を意味していたのだということを。ふつう、黙るというのは消極的な 行為だと思われている。じっさい、自分でもそう思っていた。自分は消極的な人間なのだと思っていた。でも、本当はそうじゃない。僕は、実に頑固な人間なのだ。僕は、他人に対抗する手段のひとつとして、黙る、ということを選択していた。そして、ますます僕は頑なになっていった。僕は、口がぴったりと閉じて開かない貝殻みたいになっていった。

 矛盾したふたつのことが、自分の中に同時に存在している。バカみたいな話しだが、僕は、これは本当にあることなのだと気がついた。

 それに、黙る、ということが行動であり意志表示であるということが良くわかった。なぜなら、現在の自分の状況を作っているのは、こういう常日頃の自分の行動だからだ。人は常に選択を迫られている。自分という人間は、知らず知らずのうちに状況を選びとっている。そして、無意識のうちに選び取った状況が、自分という人間を形成していく・・・。

 会社の席に座り、仕事をしている振りをしながら、僕はそんなことを考えていた。けっきょくのところ、自分はどこまでも自分なのだろう。状況が良くなろうが悪くなろうが、それは常に自分のしたことの裏返しなんだろう。

 そう気がつくと、自分でもびっくりした。自分って、いままでこんな生き方をしてきたのかと思うと。ひとつ謎が解けたような気がした。心の中で何かが氷解した。

 

 帰りの電車の中で、僕はまだこのことについて、考えていた。そして、ふとカフカの言葉を思い出した。「君と世界との戦いでは、世界を支援せよ」だったか、どこかでこのカフカの言葉が頭に残っていた。僕は携帯を取りだし、検索をかけてみた。そこで、「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」というサイトを見つけた。

 カフカもかなり変わった人間だったんだな、と思った。こういうとき、小説や映画や音楽、それになにより、自分と似たような人間がいるんだという事実が、何より力になってくれる。