まだ無名の風景たち

そしてその情景

高校生のころ、逃避先は映画だった

 なぜかわからないけど、最近になって、映画を見ても心動かされることがなくなってきた。どういう心境の変化があったかわからないけど、むかしみたいに熱中することがなくなった。これは、何なんだろう。

 高校生のころは、金曜ロードショーと、日曜洋画劇場は必ず見ていた。学校に行くのが嫌だったから、その逃避先が映画だった。自分は高校のころからどんどんと成績が下がっていって、いろいろうまく行かなくなり、その鬱屈したエネルギーが、映画に向かっていった。テレビに映し出される、名前もない場所。コンクリート、金網、レンガ・・・。とにかくなんでもいい、自分の知らない世界がそこにある。自分の周囲の現実とは違う場所。それに強く憧れていた。家や学校や、自分のなじみのある風景から逃げ出し、そして忘れたかった。自分は、映画の世界に意識をもっていくことで、それをしていた。若者らしいエネルギーがすべて、そういう方向に流れていったという感じだった。

 高校の頃の僕が妙に覚えている映画があって、それは「戦場のピアニスト」だった。僕は、なぜかこの映画が好きで、DVDも買ったりした。この映画のすごいところは、主人公が闘わないところだ。ただ逃げているだけである。ただ逃げているだけなのに、この映画を観終わったあとには、何か歴史を目撃したような、疲れたような感じを覚えるのだった。主人公がラスト近く、崩れた家々が地平線まで続く荒れ果てた道路を片足を引きずりながら歩いていくシーンがある。まるで、歴史の荒廃を暗示しているようなシーンだ。そのシーンの後、映画のラストで、主人公がピアノで、オーケストラの演奏が流れる。今度は午後のひだまりのような心地よさだ。いままでの出来事が嘘だったかのような、平和で調和のある世界。

 どんなことがあろうと、歴史は流れ、過ぎ去っていく。

 

 最近の自分が無感動になったかというと、けっしてそういうわけではない、と思う。妙に音楽にこだわるようになったし、本もときどきは読む。感動もする。鳥肌だって立つ。

 ただ、映画に対して、そこまで感情移入できなくなった。映画を見て、何かを感じたり、考えたりはする。けれど、むかしのように夢中になって見ることはなくなった。もしかすると、高校の頃と比べて、自分の中で変化があったのかもしれない。高校の頃とは、状況が変わった、ということなのかもしれない。

 映画に夢中になることがなくなった。でも、それは、むかしの精神的な危機が去ったということも意味しているだろうし、他にもいろいろ知りたいことが出てきたということなのだろう。これはこれで成長した。と、自分は思いたい。