父、帰る よそ者としての父親像

  

 自分自身の家庭というものを振り返ってみると、父親から異質な匂いがしたことはなかっただろうか。その異質さというのは、その家庭の者にはない、外部の人間の匂いが入り混じっているからではないだろうか。少なくとも、子どもが父親にそういう雰囲気を感じていることは十分にありうるはずだ。

  この映画で描かれているイワンは、母親に愛され庇護されてきた設定なのだろう。そしてイワンは無意識のうちに父親に反発していたのではないだろうか。単純に、イワンは父親のことを外部の人間として認識していたように思う。つまり父はイワンの日常の平和を乱したわけである。イワンが父にふてくされた態度をとったのもそのためのように思う。イワンは父に反発する。そしてその父に反発する最高のものが結末につながっているわけだ。

 それに対して、兄は父が帰ってきたことを喜んだ。兄は父親にうまく迎合していく。このような兄弟の対比も面白いと思う。

 

 この映画では、父親は謎の外部装置として、あるいは外部の掟を伝えるものとしての役割を担っている。ウェイトレスの呼び方とか、あるいはイワンに不条理なルールを押しつけたりとか。さらに言えば、無人島に取り行った小箱の中身を謎のままにすることで、観客にとっても父親が謎の存在、外部の存在として捉えられるように構造化されている。さらに付け加えると、この映画の結末である父の死も、イワンとアンドレイの兄弟から見ても、観客から見ても、父親が外部の人間であるという構造を強めるものとして機能している。

  外部から何か知らないものが侵入してくるという話は小説にも映画にも結構あるように思う。宇宙戦争とかも、まあそうだし、謎の生命体が人間に寄生して侵略されていたみたいな小説もある。けれども、この映画は、家族という普遍的な構造を上手く抽象化したんだと思う。だから、幻想的で、古典的な匂いもするし、寓話のような雰囲気も持っている。

 

 この映画には、父親的なものに対しての、複雑な思いが描かれている。まあ、強い父という感じでいくと、ソ連なんかを連想する人がいるかもしれない。じっさい、そういうことも想定しつつ、この映画はつくられたのかもしれないし・・・。だが、これはもう少し複雑なような気もする。それは、父に対する兄弟の関係を見てみるだけでもわかる。けれど、父に対する、畏敬の念もこの映画にはある。父親が森の中を運ばれていくシーンとか。そう言えば、父親の初の登場シーンは目をつぶって寝ているところじゃなかったか。そして最後のシーンも目をつぶって、海に沈んでいくんじゃなかったかな。このような美しく繊細な描写が、無骨な父という対比されて、余計に美しく感じてしまうのだ。

 

 父に対する複雑な思い。これは誰にでもあるのかもしれない。この映画では、そういう象徴として、抽象的に父を描き、機能を持たせている。

 

 抒情的で、美しい映像だった。それに、妙な懐かしささえ感じてしまうのだった。